エクストリーム・アイロニングとは。

エクストリーム・アイロン掛け(エクストリーム・アイロンがけ、Extreme Ironing)は、人里離れた場所でアイロン台を広げて服にアイロンを掛けるエクストリームスポーツである。このスポーツのプレイヤーはアイロニスト(ironist)と呼ばれる。

 アンサイクロペディアではないのです。


 「言葉の意味は分かるが、何言ってんだか分からない」という体験を初めてしました。

 間違いなく伝わってくるのはこの人たちは真剣だ、ということだけ。EIJ(エクストリーム・アイロニング・ジャパン)メンバーはありとあらゆる場所でアイロンをかけまくる。

 岸壁で、山頂で、水中で。自転車の上で、カヌーの上で、サーフボードの上で。アイロンとアイロン台、時には25kgの発電機を持ち込んで。

 ネタやパフォーマンスではないのでしょう。だって命が懸かっているから。笑いを取るためだけにアイロン台を担いでロッククライミングは出来ないと思うんですよね。まあ自転車はいくらタンデムといっても道交法的にどうかと思いますが。

 では彼らはなぜそんな奇天烈なアイロンがけをするのか。著者によれば「達成感」のためです。登山者はその頂に到達した時の達成感のために山に登ります。そこでアイロンをかけてみる。すると何とアイロンでシワを伸ばす爽快感や満足感もミックスされた、ひとつ上のステージの達成感を得ることが出来るのです!!

 「ラーメンはおいしい。シュークリームもおいしい。ラーメンにシュークリーム入れたら超ウマいんじゃね?」

 っていう天の声が聞こえてきたのですが、多分気のせいです。



 なんでそんな発想に至るのかが不思議だったんですが、読み進めているうちに何となく分かってきます。俺はエクストリーム・アイロニングは「スポーツにアイロンがけを組み合わせたもの」だと思っていたのですが、どうも主従が逆のようで。

 アイロニストは、まずアイロンがけが大好きだという事がその資格。こんなに楽しいアイロンがけを室内ではなく大自然に包まれて行うことができたらどんなに素敵だろうか? というのが発想の原点。別にスポーツの難度を上げて達成感を上積みするためにアイロンを利用しているわけではなく、全ての中心にアイロンがあるのです。

 そう考えると、この一見馬鹿馬鹿しいスポーツの正体が少し見えてきます。馬鹿馬鹿しいっていうか馬鹿なんです。アイロン馬鹿。愛すべき、敬意を払うべき馬鹿。俺はこういう人たち好きです。



 繰り返しますがアイロニスト達は真剣そのもの。新しいアイロン技の研鑽にも余念がありません。エクストリーム・アイロニングには大自然の中で行うネイチャーアイロニング、様々なスポーツと組み合わせて行うスポーツアイロニング以外に競技としてのアイロニングがあり、アイロニスト達はそこで磨き上げた己の技を競い合うのです。

 世界大会ルールはきちんとシワが伸ばせているかという技術点、いかに独創的なスタイルでアイロンがけをしたかという芸術点、そしてタイムを競うもの。素早く、きちんとシワが伸ばせていることはアイロニストにとっては当たり前。いかにエクストリームなアイロンがけが出来るかが魅せどころ。

 著者と相棒の新井アイロニストが世界大会に向けて温めている大技、「ブラック・ロータス」の開発秘話を少しだけ引用します。

 実際にやってみると、これは思った以上に腰への負担がきつかった。まずは仰向けになった新井アイロニストの両脚を両脇に抱え込む。そして徐々に回していく。僕の腰はこの時点ですでに悲鳴をあげた。それを我慢しつつ、回転速度を上げ、新井の高さと勢いがピークになったところで、アイロン台に向かって新井を力いっぱい放り投げるのだ。 「おりゃー!」と僕は自然に絶叫していた。ハンマー投げの選手がハンマーを放った直後に絶叫するが、まさにあんな感じである。すると、新井は「ギャー」という断末魔とともにアイロン台にぶつかって転倒。目が廻った僕もその場にぶっ倒れた。

 電車で吹いたじゃねーか!! 「断末魔」とか言うなよ。

 ごめんなさい、真面目にやってるんだろうけどこれは笑うよ。真面目さと滑稽さのギャップがあまりにも激しすぎて、意識があさっての方向に飛びかける。俺は一体何を読んでいるんだ、と。

 それでいて次の章の出だしが「アイロンの上手な掛け方」になっている辺りなんかはマジ異次元。でも、著者の中ではこれが無理なく繋がっている事もよく分かります。



 いやー、ネタのつもりで読んでみたんですが面白いですこの本。変な方向から脳を揺さぶられる感じがします。

 最初に書いたように「言葉の意味は分かるが、何言ってんだか分からない」って事が度々起こるんですよ。でもそれも読んでいるとだんだん腑に落ちてくる。知らなすぎる世界の話はいつだって楽しい。

ようこそ、固定観念の外側へ。

 序文のこの締めはただのカッコつけじゃなかったみたいだ。