サマーバケーションEPサマーバケーションEP
著者:古川 日出男
販売元:文藝春秋
発売日:2007-03
おすすめ度:5.0


 夏だからこの本という訳ではないんですが、レトロな装丁が気に入ったので。単なる偶然ですが、夏に読めて良かった。

 本に対する嗅覚が無くなるというか、次に読みたい本というのがピタッと無くなることが良くあります。そういう時は自分にとっての定番、大体外れは無いだろうという作家の作品を手に取るわけですが、そのうちの一人が古川日出男です。

 独特の文体によるリズム、適度に乱暴な言葉遣い、時々とんでもない方向に足を踏み外す物語。はっきり言って読みづらいのに、それでもぐんぐん読ませる勢いが好きなのですね。


 ところがこれは今まで読んできた物とは大分毛色が違いました。全編「僕」の過剰なですます口調による、なんだか心落ち着く文体。そして他の作品とは全く異なるゆっくりとしたリズム。古川日出男の小説は、作風は違えど音楽を想起させるという点で共通しています。

 これは「僕」の冒険の物語。冒険と言っても、井の頭公園から神田川を下り、海を目指してただただ歩き続けるだけ。それでも「僕」には初めての冒険になる。何故なら「僕」は人の顔を覚えられないから。

 目が二つあり、鼻があり、口がある。「僕」が分かるのはそこまで。「僕」は人の顔を個体として認識することが出来ないのです。まるで同じ種類の犬を人が見分けられないように。

 川は合流したり支流に分かれたり。それと同じように旅の道連れと出会ったり別れたり。「僕」は顔が覚えられない代わりに匂いや「声の体温」で仲間達を描写します。当然外見(顔)に関しては全く触れられないので、仲間の姿形が自分の中のイメージから作り上げられていくのが面白い。

 そうして自分の脳内で作り上げた一行の冒険を眺めていくことになります。仲間は子供の頃の終わらない夏休みを探している兄ちゃんとか、弁天様に呪われてしまったカップル、正体不明の変なおっさんなど。

 特に大きな起伏やあっと驚く展開など全く無く進む物語なんですが、今まで読んだ他の古川作品とは違う意味で読むのが止まらない。ゆったりした冒険の中での一期一会。そのリズムに身を任せて読むのがとても気持ちいい。

 リズムに乗るという意味では同じか。でもBPMが全く違うんです。

 ベタですが頭の中には「スタンド・バイ・ミー」が流れます。これは大人の行き当たりばったりなスタンド・バイ・ミー。途中でスパに寄って休憩したりする、ちょっとダメな感じのスタンド・バイ・ミー。

 ああ、夏休みってこんなだった気がする、と思います。休みを無駄にしないために何かをしなくてはと焦るのではなく、休養だからと家にこもるのでもなく。何かどうでもいいことに贅沢に時間を使うのが子供の頃の夏休みだったのかなと。ずっとザリガニ釣ってたりとか。

 夏休みの直前にこの本を読んだのは良かった。実家に帰ったらどうせする事もないし、たっぷり時間を使ってくだらない事でもしてみよう。無駄な充実感だけは得られそうな事を。

 ザリガニは釣りませんが。


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