ラッシュライフ


 ああ、上手いな、という感想。舞台になる仙台ではエッシャー展が行われているのだけれど、これが物語の構造を暗喩している訳だ。上っても上っても繋がっている階段の絵

 以下、ストーリーには触れませんが、物語の構造についてちょっとだけ書きます。勘の良い人が初めからこの本をそれと認識して読んじゃうと面白くなくなる可能性があるので背景色で書いておきます。こんなことをしないでもネタバレの香りを出さずにいられる文才が欲しいもんだ。そんなわけで次の段落は既読の人か、底抜けに勘が鈍いと自負する人へ。
 物語は4つのシーンからなっていて、それらが互いに交錯していく。最近そんなんばっか読んでるような気がする。だがこれは時系列の使い方が上手い。場所だけじゃなくて時間も前後へギュンギュン飛び回る。「うわ、そこに繋がるんかよ!」とか、「ああ、あいつはアレだったのか」と物語の中で種明かしの大盤振る舞い。俺はちょっと「メメント」を思い出しました。ちょっと過去に戻って種明かし。更に戻って種明かしの種明かし。それを複雑にしたようなもんだと思いねえ。それに加えて洒脱な会話による人物描写。トリックスター的立場に居る泥棒の黒澤なんかは、ああ、伊坂幸太郎だなあ。こういう所は安心して楽しめる。

 ただ俺の場合、最初に書いたように「上手い」という感想が先に来てしまう。イヤな奴は自分の信じる価値観を揺さぶられ、善良な人間は何かしらの希望を得る。ポジティブな気分になれる爽やかな読後感はある。

 でも、それにしたって未解決の問題が残りすぎだな。読者の想像に任せるつっても物には限度っちゅーもんがある。「その後」を思い描くにはそれまでの描写に全てがかかって来るけども、俺には殆どの登場人物の思考回路が理解し難かった。だからそれが消化不良を感じさせる。これは面白かったからこその不満。「あれ、終わり?」って。惜しいなー。

 ところで俺は「オーデュボンの祈り」を先に読んだほうが良いと言われてその通りにしました。成る程なぁ。各作品世界がリンクしてるのね。言われなければタイトルの響きで「ラッシュライフ」から読んでました。忠告感謝。

 他の作品にもこういう遊びはあるのかな。楽しみだ。